living in color

思想、あるいは妄言

contrast

午後6時半は、もっとも季節が表れる時間だと思う。

春は夕陽が優しく僕らを包み、夏至前後1か月はまだ外で遊べと言わんばかりに強く肌を焼く。夏休みが折り返すと辺りを赤く染めひぐらしのどこか物悲しい鳴き声が聞こえる。秋は稲穂を黄金に輝かせ、冬は寒くて暗いが、僕たちの距離を少し縮めてくれる。

 

今宿と下山門の間で海が見える。トンネルを挟んで2回見ることができる。

まず西で見える海。波が夕陽に照らされ、キラキラと輝く。砂浜があり、幾人かが砂浜を走っている。

トンネルを抜け、東側の海。陽の角度と僕がみている角度が悪いため、波は光らない。岩やテトラポットがならび、すぐ隣には車が走る。どこか物悲しい。同じ繋がった海なのに、すぐ隣なのに、どうして東側は暗いのだ。どうして子供の笑い声を聞くことができないのか。私だって、夏至ごろは輝いていたのだ!たしかに橙ではなく、昼間のような白だったかもしれないが、たしかに電車に揺られている君に光を届けていたではないか!それが今では誰も見てくれない。東側ではスマホをみて、西側の時だけ顔を上げる。西が羨ましい。。。そんな海の声がより一層東に影を落とす。

 

光も影もどちらも際立つのが午後6時半であると、僕は思うのだ。